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結婚は宗教?既婚者の「結婚すべき」圧力はほとんどカルト布教の域

喪女美

『人は皆、結婚して子育てせよ』

と洗脳してくる既婚者
もう、結婚は宗教じゃね?

既婚者の結婚しろ圧力はどこから来るのか

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いっつも不思議なんですけれどもね。結婚している人たちの独身者に対する「結婚はいいぞ〜子供はかわいいし、結婚してこそ一人前」「まだ結婚しないの?どうして?」「早く結婚しないと子供産めなくなるよ」という、『結婚しろ圧力』は一体どこからやってくるのか?

日本人にありがちな同調圧力に近いものかもしれないけれど、それよりもむしろ喪女美の感覚では「これって・・・宗教の勧誘に似ている」と気付きました。

信仰している人の神への帰依心というのはすごいもので、カルトと呼ばれるものになると恐ろしいくらいのしつこさで「本当に素晴らしいのよ!あなたも絶対に救われるから!!ね!あなたも信じなさい!」と、電話番号でも知られようものなら借金取りよりも遠慮なくジャンジャン電話を鳴らしてきます。(経験あり)

なんかね、「自分はすでに結婚して幸せを感じている。この幸せをあまねく独身者たちに味わわせなければならない」という信仰に近い形で勧めてくるんですね。

そしてそれを少しでも否定しようものなら「一体、結婚もせずに子供もつくらず、何が幸せなんだろうか」と首をふってため息をつき、なぜ理解できないのかと可哀想なものを見る目でこちらを素で見下してきます。

 

独身者は『異端者』なのか

 

『結婚しろ圧力』をかけてくる人たちというのは、結婚=信仰・宗教の域で、自分が信じている最善の人生の価値観を共有できないものは、まさに『異端者』であると考えます。そして異端審問による魔女の火あぶり刑のように、時には公開処刑をされることも(もちろん、比喩的な意味でね)。

我々は迫害されている!

という勢いで、『結婚する』=入信者、『結婚しない』=異端者の図式が、やたらとピタリとハマります。結婚を否定するものは異端であり、彼らの人生を形成している価値観そのものを否定する危険な存在であるのです。

 

親戚のおじさんの説教

 

喪女美には酔っぱらいの親戚のおじさんがおり、お盆などで顔を合わせるとおじさんに5時間くらいぶっつづけで、酔った勢いでの説教を聞かされる習慣がありました。

適齢期を過ぎた頃になると、「結婚はしないのか」「彼氏はいないのか」という質問からはじまり、喪女美がまったく男女交際にすら興味を示さないことを知ると必ずこのフレーズから説教を始めます。

喪女美、この世にはな、男と女の2種類しかいないんだぞ。

ここから先の説教トークはご想像どおりであって、延々と結婚しないことのデメリットを語り続け、結婚するとどのようなパラダイスが待っているか、そして人間には人類を存続させるために子供を産んで育てるという崇高な使命があるのだと、世界の行く末を背負わされるまで何時間も話続けるわけです。

世界は重すぎんだよ、おじさん。

あたいの背中には、背負いきれねーよ。

こんこんと結婚すべき圧力をかけられ続けていると、心の中でその言葉への反論がどんどん溜まっていき、(おじさんは好きだったので、反論はしないでただ聞いてあげた。ただの酔っ払いの絡み酒だし)かえって結婚なんぞしたくないという気持ちになる、という悪循環なのでありました。

 

結局は価値観の押し付け合い

 

結婚しろ、結婚しないの論争が不毛なのは、結局のところお互いの価値観の押し付け合いでしかないからです。結婚して幸せで、結婚なしの人生なんてありえないし、子供もいて最高だというのならべつに喪女美としても「コングラチュレーションズ!」とお祝い申し上げますよ?

けれども、それはあなたが見つけた幸せであって、喪女美の幸せとイコールであるかどうかはまだわかる段階ではないのです。

結婚しろ圧力に腹を立てて頑強に「結婚なんかしない!」と言い張る意地っ張りな気持ちもないではないですが、今はもう風の流れるままに人生を受け入れて自分の幸せを見つけることしかありません。

パウロ・コエーリョ著「アルケミスト」の中で、

マクトゥーブ!「それは書かれている!」

とアラブ人が言います。運命というものは、すでに書かれておりその導きに従っていれば、おのずと道は開かれる、といったニュアンスでしょうか。慌てることはないのです。そして、誰かの価値観を押し付けられて膝を屈する必要もありません。

それはすでに「書かれている」のですから。

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